フランス博士留学記

クロワッサンうますぎるだろ。そしてクロワッサンという発音は100%伝わらないと思う。

比較からの自由

Bonjour,

 

時間ができたら更新しようと思っていて、気づいたら前回のブログから3ヶ月近く経ってしまった。

なんとなく今日は"ですます調"ではなく、"である調"の文体で行こうと思う。

そういえば、中学校に上がった途端教科書の文体が"である調"になったので、どうしてそんな怖い口調に突然なったんだろうかと思った覚えがある。"~を求めなさい"とか、なんでそんなに命令すんだと少しショックだったことをなんとなく思い出した。

  

ついに明後日から一時帰国。人生初の一時帰国。

まあ普通は嬉しいんだけど、ちょっと実は複雑な思いもある。

というのも、自由じゃなくなっちゃうんじゃないかと思うから。一体なんのことか、説明しようと思う。

 

フランス語もできずに留学して、それはなかなか苦しい生活だった。いや正直言うと人生で最も過酷な10ヶ月だったかもしれない。しかも今までとは種類の違うキツさ。部活の練習が辛いとか、受験勉強が大変だとかいうのとはまた別。そう、生きることが苦しいのだ。

しかし同時に、毎日もがき苦しむうちに僕はある心理的変化が自分に起きたことに気づいた。僕は何かから解放され自由になったのではないかと。

 

思うに、日本社会は恐ろしほど均一で画一的である。そしてその整然とした列を乱し外れることは、たとえ誰に迷惑をかけないにしても、あまり喜ばしいことではない。世間で信じられているロールモデルを皆横一線になって目指し、そこから外れるものは二度と"主流"に戻ってこれないという恐怖。そんな中で、僕は自分の人生の価値を他人との比較によって決めていた。上の人を見ると自分は無能でなんて価値のない人間なんだと思い、下を見つけると見下していい気分になった。比較こそ自らの人生の価値を測る絶対無二の評価基準だった。でもみんなそうなんじゃないか。大人は口では「失敗してもいいんだよ」「自分の生きたいように生きなさい」「自分らしくあれ」とか言うけど、それが事実だったことはほとんどない。

 

そういうのがフランスに来て全部崩壊した。なんでかって?

人間が多様すぎてもはや比較できないからだ。

働いてから大学入ってきたやつ、30歳で子持ちで博士課程に入ってきたやつ、母国で戦争が起き命からがら逃げてきて医者を目指しているやつ、4,5ヶ国語で平気でコミュニケーションとるやつ。

フランスにきたばかりのころ、フランス語のできない僕は激しく劣等感を抱いた。フランス人にも、流暢に話す留学生に対しても。僕は一人一人に対して自分が勝っているポイントを探して、そのカスみたいな自尊心を保とうとした。「おれはこいつより英語が出来るのでまだ負けていない」、「こいつは歳がいくつか上なのでいま同じ地点にたどり着いているおれの方が上」みたいに。でももうやめた。もうバックグラウンドが違いすぎて比較なんかしたってなんの意味も見出せないのである。フランス語に近い母語を持つ連中の方が上達は早いのは当たり前だし、そもそも教育制度が違えば、博士に入学出来る年齢も国によって違う。まして戦争で逃げてきたとか、そういう何もかも違う人と自分を比較してなんの意味があると言うのだろうか。自分が頑張ったことが達成できればそれでいいじゃないか。まあ比較したければ同じ学年の博士の学生と比較することも出来るけど、卒業すれば母国に帰ったり別の国行ったりするし、国も違うからその後の出世とか年収とか比較してもしょうがない。

 

とにかく、そういう違いすぎるバックグラウンドゆえ、他人との比較が意味を持たなくなったことで、比較は人生において絶対無二の評価基準はおろか、人生で最も下劣でくだらないものになった。別にフランスは日本と違ってそういうことをしない素晴らしい国だ、なんていうつもりはない。フランスで生まれ育った人たちの中ではもちろんそういう競争はあると思う(しかしそれにしてもフランス人は他人のことを気にしない気質が強いので日本人よりは比較し合わず、気楽に生きている人が多いと思う)。僕が外国人という特殊なポジションにいるからこそ、そうした比較から一歩引いた存在でいられるのかもしれない。

 

よって「フランスに来たことで、他人との比較による自身の価値評価から自由になった」というより、「日本を出ることによって類似のバックグラウンドを持つ人間が周囲にいなくなり、比較自体ができなくなった結果、比較から自由になった」という方がより正確だろう。そして、その自由とは「比較を強いる日本社会からの自由」というよりも、「自身の価値を比較によって決めるという僕自身のこれまでの生き方からの自由」という方がふさわしい。

 

きっとこう思う人がいると思う。日本にいたって他人と比較しないで生きることは可能だし、主流のコースから外れたって気にせず生きていけばいいじゃないかと。お前がそうできないだけでそうしている人はいる、日本社会のせいにするなと。ごもっともである。でもそう出来る人の数って本当に少ないのではないだろうか。一年の浪人や一年海外フラフラ旅したりすることでさえ、相当多くの人が躊躇しているではないか。

 

僕は怖い。日本に戻って同級生と会えば自然と今の仕事の話になって、「お前はフランスの博士課程にいるんだってな、すげぇな。」なんて話になれば僕のゴミみたいな虚栄心が目覚めることは想像に難くない。いや、むしろそれはフランスへ発つ前の僕自身が恥ずかしくも望んでいた展開でさえある。だからこそ、あの頃の自分には戻りたくない。

もっと言うと、あと2年の博士を終えてからすぐに帰国しようとは思えない。それは自分のしたい仕事がこちらかあるいはまた別の国にあるからでもあるが、たった3年で戻ったらまた僕は元のレールに収まり、同級生の出世に耳をそばだて、でも留学したから給料は負けていても総合的にはおれの方が上、なんて言い出す人間になるに決まっているからだ。だからもう少し放浪していたいと思う。で、気が済んだら帰るのかもしれないし、そのままそっちにいるのかもしれない。まあそんな先のことはわかんないけど。

 

それではみなさん日本で。

A bientôt